沖縄が日本でなくなる日(沖縄の歴史・明治~戦争)

 「沖縄が日本でなくなる日」の4回目です。
 1894年の日清戦争以降日本の領土になった沖縄ですが、法整備等が本土から大幅に遅れ各地で旧制度廃止・改善を求める運動が起き、県民は県政の改善や参加権を要求しました。徴兵制、地租改正、市町村制、府県制、衆議院議員選挙法などが施工されたときは、本土から10~25年遅れていました。一方で、政府による沖縄県の皇民化が強まり、神道の布教なども実施されました。
 大正時代になると、日本の委任統治となった南洋諸島へ多くの沖縄県民が移住し、同時にハワイやブラジルなどの中南米諸国へも移住が行われました。さらに、第一次大戦後の世界恐慌時代には、本土への出稼ぎや移住も多く有りました。
 戦前には沖縄にも鉄道が有ったようです。明治末期、沖縄電気軌道が沖縄初の鉄道を開通したのを始め、大正時代には4社の鉄道会社が存在しました。しかし昭和に入るとバス事業も参入し、追い打ちを掛けるように沖縄戦で鉄道の全施設が破壊され沖縄の鉄道は消滅しました。そして、2003年沖縄都市モノレールの開通で、ようやく沖縄の鉄道が復旧しました。
 昭和に入り、1931年に起きた柳条湖事件に端を発した、日本と中国の武力闘争「満州事変」が1933年勃発しました。これにより、日本は満州全土を占領しましたが、中国市場に関心を持つ米国や他の列強国との対立も深刻化してゆきました。そして、1937年日中戦争(支那事変)が起こり、日本と英米仏の関係が急速に悪化し、アメリカは航空機燃料・鉄鋼資源の対日輸出の制限等、日本への締め上げが図られました。それでも、日本は事態を打開しようと、1940年日独伊三国軍事同盟を締結し、インドシナへ進駐しますが、米国は石油輸出全面禁止などの経済封鎖を日本にします。その後の日米交渉も難航し、1941年11月米国からハル・ノートの提出により日本は日米交渉の打ち切りと日米開戦を決定し12月8日日本の真珠湾攻撃により太平洋戦争が勃発しました。開戦当初こそ日本に勢いが有ったのですが、1942年6月のミッドウェー海戦の惨敗により戦局は一変します。元々物資に乏しい日本は短期決戦でしか勝算は有りませんでした。
 その後は、さらに戦局が悪化してゆき、そして終に悲しく、悲惨な歴史が沖縄に綴られます。1944年10月10日本土空襲に先駆け那覇が空襲を受けます、それにより那覇の90%が壊滅し、学徒疎開の対馬丸を沈められる等の被害も発生しました。そして、1945年4月1日米軍は読谷村から沖縄本島に上陸し、壮絶な地上戦が繰り広げられ、沖縄県民も戦闘に参加し日本軍と共に戦死しました。6月23日ようやく組織的な戦闘が終結し、実質的な戦闘も7月4日に終わりました。しかし、それまでに甚大な犠牲を払いました。姫ユリ学徒隊を始めとする8つの女子学徒隊や首里城地下壕等における壮絶な最後、数多くの集団自決、さらには日本軍による住民殺害(この真偽は不明)などが有りました。これら一つ一つを取り上げるとあまりにも長く悲しいものになってしまいます。さらにこの沖縄戦は、本土決戦への時間稼ぎの捨て石作戦であったとの見方もあるようですが真偽のほどは分かりません。
 そして、1945年8月6日広島・9日長崎への原爆投下が有り8月15日玉音放送により終戦を迎えたかに思えました。しかし、9月2日降伏文書を調印するまで戦争は終わっていませんでした。日本が勝手に戦争が終わったと思っていたところ、その間隙を縫ってソ連が南樺太・千島列島を占領してしまいます。これは日本政府の落ち度と言えるでしょう。9月2日降伏文書が調印され戦争は終結されますが、それ以降もソ連の北方領土の占領は続きます。そして、10月15日本土の日本軍が武装を解除しようやく終戦に至りました。
 そして沖縄は米国の占領下に置かれる事となります。

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