オッサンのブラリ一人旅(丹後LEGEND of sevens Princess 静神社)

 丹後七姫伝説、3回目は、静神社です。
 ガラシャの里後にして、間人を経由して海岸線を走ります。
 眼下には、青い夏の海が広がります。
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 静神社は、網野町市街を抜けて、暫く走った所にあります。
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 静御前は、1165年にこの地に生まれた、とされます。これは、他の土地で生まれたと言う説は有りませんでしたので、かなり有力だと考えます。
 静御前の母親は、京で公家を相手に白拍子を斡旋していたと言われており、静御前も生後は都に住んでいたと思われます。
 白拍子とは、水干や烏帽子、刀などを身に着け舞を舞う女性で、遊女としての一面も有ったそうです。当然、静も白拍子として成長します。
 伝説では、ある年、干ばつが続き後白河法皇は100人の白拍子に「雨乞いの舞」を舞わせます。しかし、99人舞っても、雨が降りません。そして、100人目静御前が舞うと、3日間雨が降り続いたそうです。その後、住吉での雨乞いの際に義経に気に入られ、愛人になったそうです。源平合戦後、兄の頼朝と対立した義経が都落ちし九州に向かう際、同行しますが、吉野で義経と分かれ京へ向かいますが、途中捕らえられ北条時政に引き渡された後、鎌倉に送られます。鎌倉で、頼朝から舞を命ぜられた静は義経を慕う歌を歌い、頼朝を激怒させますが北条政子の取り成しで命を救われました。このとき静は義経の子を身ごもっており、男子を産みますが、赤子は取り上げられ、鎌倉の由比ガ浜に沈められます。その後静は京に返されましたが、そこからの消息は不明となっています。その為、全国に、静御前の墓があるようです。
 国道の際からの、階段を登ると静神社が有ります。神社と言っても、祠があるだけです。1782年に火災で焼失し、元の位置から200m西の場所に再建され、静御前の木像が祀られているだけだそうで、ご神体も無いようです。地域の氏神様までも行っていないようです。
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 水仙は、静御前をイメージした花だそうです。境内からの景色を説明した看板も。
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 境内の脇に、展望台へ上がる階段が・・・しかし、上がってみると雑木林が広がっていました。
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 辺りを見回して見ると、下り階段が有りました、階段を下った所に展望台が有ります。しかし、前方の木々が邪魔で折角の景色が見えません。展望愛の整備が望まれます。
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 神社から400mほど東に行った所に、静御前生誕の地の碑が建っています。民家の軒を通って行きます。
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 碑のある場所からは、絶景が広がります。
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 この後、児島神社へ向かいますが、その道からも、夏の海が広がります。
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