オッサンのブラリ一人旅(鉱石の道 生野銀山Ⅲ)

 坑道の最深部のシュリンケージから、復路へと足を進めます。
 明治になると、生野銀山は政府直轄運営鉱山となり、先進技術を導入し近代化が進められました。1889年皇室財産となりましたが1896年「三菱合資会社に払い下げられ国内有数の鉱山となりました。
 画像は、昭和以前の旧坑の後です。
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 発破作業の為には、様々な大きさのコアを用いて穴をあけて行きます。
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 此方は馬蹄型鋼枠二枚合掌です。馬の蹄に似ていることからそう呼ばれていますが。説明しよう検索しましたが、生野銀山がらみのサイトばかりでした。生野銀山独特のものではないのでしょうが・・・。
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 馬蹄型鋼枠二枚合掌を抜けると、太閤水が有りました。秀吉が、訪れたおりこの水を飲み甚く気に入り茶を点てたとの言い伝えが在るそうですが、現在は飲むことは出来ません。お腹が痛くなっても良いというのなら無理には止めませんが・・・。
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 掘削した鉱石は、エレベーターで地上に搬出されます。
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 此方の滑車でエレベーターを動かします。
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 砕女です。
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 出口に近づくと江戸時代の作業工程が再現されています。
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 各、作業工程はマネキンを使って再現されています。実は、このマネキン達、2017年7月に「GINZAN BOYZ」としてアイドルデビューしています。
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 外に出て来ました。
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 出口の様子です。「三ッ留」と言うそうです。
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 生野銀山も1973年、資源の減少、品質の悪化、コストの増加と共に採掘の危険性が増したことから閉山となりました。坑道の総延長は350km以上、深さは880mに達しています。

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