オッサンのブラリ一人旅(丹波篠山三山 松尾山文保寺)

 大國寺を後にして、文保寺に移動します。
 文保寺の参道前には、石の大きな鳥居があります。文保寺と表記してある碑が有ります。ひょっとして、神仏習合を認められたお寺なのか?と思ってしまいます。
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 ここの参道は、楼門の横の駐車場迄車で行くことが出来ます。
 楼門(仁王門)にやって来ました。
 この楼門は、1385年鎌倉五山の内の建長寺の楼門を模して建立されたそうです。その後戦で焼失しましたが現在の物は天正末期に建立されたものと云われています。
 建物は入母屋造で肘木に唐様が見られます。全体的に和様を基調とし、室町末期の建築様式が見られます。
 楼門です。
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 楼門をくぐって直、前方に鳥居があります。
 不思議に思いながら近づいていくと、二村神社と表記されています。
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 横に目をやると、別の参道が続いており、山門が有りましたどうやらもう一つの方が文保寺への参道の様です。普通に歩いていると二村神社の方へ行ってしまいます。
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 山門を過ぎると、鮮やかな紅葉が目に飛び込んできます。
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 ようやくお寺に到着です。石段を登ると本堂があります。石段の横には松尾山と白髪岳に登る登山道があります。
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 文保寺は、大國寺と同じ時代、こちらも法道仙人が開いた寺です。自作の聖観世音菩薩を本尊として安置し聖備山長流寺(しょうびざんちょうりゅうじ)と、建立された当時は称していたそうです。その後、947年戦火により焼失し、正和年間再興され、文保年間に宝鏡寺の宮門跡一品親王真筆の勅額を下賜されました。以降文保寺と呼ばれるようになりました。戦国時代末期、再び戦火に焼失しましたが、江戸時代に復興されました。
 法道仙人は印度より仏教を日本に伝えたと云われるで、架空の人物と言う説が有るようです。加古川上流域、播磨丹波地域には200以上の山岳寺院を開いたと伝えられています。その中で、特に天台宗のお寺が多くみられる様です。
 本堂と鐘楼です。
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 丹波篠山もみじ三山にはあと一つ、高蔵寺が有るのですが、以前桜の時期に訪ねています。シーサーブログでは紹介しているので、今回は敢えて訪ねる事はしませんでした。
 下山後、折角です。二村神社にも立ち寄る事にします。

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