オッサンのDream Journey(昔の人はエライ! 東海道五十三次 見付宿~袋井宿)

 体調不良で、昔の人はエライ!を休んでいました。4月3日のちちんぷいぷい(昔の人は偉かった)では、浜松宿から舞阪宿へ向かっていました。番組では龍雲寺でダウン症の初夏が書いた世界一の般若心経とスズキ自動車を紹介していました。
 見付宿から袋井宿を目指します。一里半(約6.9Km)の道のりです。
 袋井宿、西の入り口は御幸橋辺りの様です。インターネットでは袋井宿出口と表記されている場合も有ったので、御幸橋を西の入り口とします。
 見付宿と袋井宿の間には、阿多古山一里塚、旧東海道入り口、遠州鈴ヶ森跡、大日堂、鎌倉の古道道標、江戸の古道道標、明治の道道標、大正の道道標、木原畷古戦場、木原一里塚、旧澤野医院などの史跡が有ります。
 見付宿を出発すると、直ぐに阿多古山一里塚が道の両脇に有ります。一里塚の裏には、阿多古神社が有りますもう少し手前に登り口がある様です。
 少し行くと、旧東海道入り口になります。県道413号を逸れる様に街道が続きます。その先には遠州鈴ヶ森跡が有ります。江戸時代の処刑場だったとの事で、供養塔も建っており、日本左衛門の首が晒された所らしいです。
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 暫く行くと、鎌倉の古道道標、江戸の古道道標、明治の道道標、大正の道道標が続いています。この辺りは三ケ野七つ道と言われ、鎌倉、江戸、明治、大正、東海道、昭和の道、平成の道と7つの道が集中しています。東海道を進む訳ですが、途中街道が途切れ、鎌倉、江戸、明治、大正の何れかを通るか、手前で迂回するかと言う事になる様です。どうやらメイン道路は明治の道の様です。途中大日堂へ行く道が有り、ここは、上洛を目指す武田信玄を迎え撃つ家康軍の本田平八郎が木に登り見張りをした所だそうです。高台にあるため太田川の向こうが一望出来るとの事です。
 明治の道を進み、東海道に戻り少し行くと、太田川です。渡ると、袋井市に入ります。
 複数頭に入り少し行くと、木原畷古戦場に差し掛かります。この辺りで陣を張った武田信玄軍と家康軍の兵が小競り合いを繰り返した場所と言う事で、三方が原合戦に発展してゆきました。近くには郷社許禰神社が有り、家康が腰を掛けたといわれる石があるそうです。その先には木原一里塚が復元されています。
 暫く進むと、袋井市の指定文化財、旧澤野医院が有ります。幕末から昭和初期の間に建てられた4棟の建物で、構成されています。東海道面した医療建築物として貴重な存在らしいです。その先に袋井宿西の入り口御幸橋です。
 江戸と京、どちらからも27番目の宿場袋井宿は、東海道整備時は設置されておらず、隣の見付宿と掛川宿の間に遅れて設置されました。規模は小さく、500m程の街並みですが、遠州三山や他の神社や仏閣も有りその門前町として栄えたそうです。
 袋井宿内には、高札場、宿場公園、東本陣跡、ど真ん中茶屋、袋井宿石柱などの史跡が有ります。
 御幸橋を渡った所に、高札場が復元されており、周辺は本町宿場公園として整備されているそうです。その先には袋井宿場公園と東本陣跡が有ります。袋井宿には後、西本陣と中本陣が有るのですが、民家の脇にひっそりと看板が有るようで見つけるには困難を要するみたいです。
 東本陣跡は三つの本陣の内唯一復元されています。1991年に発掘調査が行われ、建物の1分が発見された事から復元されたのでしょう。その斜め向かいには袋井宿場公園が整備されています。ちちんぷいぷい(昔の人は偉かった)や所さんお届けモノです!でも紹介された、丸凧の保存会も公園の側にある様です。
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 少し先には、ど真ん中茶屋があります。地元のボランティアの方が運営されているとの事です。袋井市では街が東海道の真ん中と言う事でど真ん中と言う言葉が至る処に掲げられているそうです。
 その先に袋井宿石柱が立っていて、ここが東の入り口の様です。
 袋井宿に美味いもんは無いのか?思っていたら有りました。袋井で頂かなければいけません。たまごふわふわと言う料理だそうです。この料理は江戸時代から伝わる料理で卵と出汁を泡立てたような感じです、早い話が卵かけご飯の豪華版という印象を持ったのですが実際の所はどうなのでしょうか?多くのお店で頂けるそうです。
 この後は掛川宿を目指します。二里十六丁(約10.7Km)の道のりです。

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